ケチは野菜を食べよう
私はケチです。
何故かというと、比較的難儀なことをしてお金を稼いできたからです。
派遣で、誰もやりたがらないような仕事をやってきました。
時給は1割増しですが、キツさは2割増し。
そんな感じなので、1000円の重みが違います。どうせ使うなら、効用ベースで使いたい。生命維持になるべく使いたいのです。
なので、娯楽系を買うということをあまりしません。ゲームの課金などは一度もしたことがありません。(マインクラフトというゲームを700円で買ったことはある)
このように石を持ち上げてきた人間は、人からいい評価をされる為の努力を怠ってきたために、今大変なことになっています。
頑張ってきたことといっても、所詮バイト。節約もバイトも就活では評価されず、全落ちしました。しかし、筆記や書類は通っているので、人間性や見た目で落とされている可能性もあります。何が原因で落とされているかわからないという・・・
大学でもそれなりに勉強してたし、頑張ってきたつもりなんですけどね~。
収入や生活水準が他人に握られている状況は非常にストレスがたまりますわ。
話がそれましたが、ケチは間接的に人を安く使うことになり、デフレを招き、社会的に害悪なのかについて考えていきます。
結論から言うと、ケチは必ずしも人を安く使うことにはなりません。
だから、大いに節約して結構なのです。
ただ、買うものを選ぶ必要はあります。
ある製品が自分の手に入るまでに、どれだけの労働力が投入されたかを考えればいいのです。例えば、1000円分の何かを買ったとき、その製品を買うまでにどのくらいの人手や手間がかかっていて、どのように値段がついているかを考え、時給をはじき出します。
もっとわかりやすく言うと、「この製品が生み出されるまでに、どれだけの人が、どれだけ働いたのか?」という視点で物を買えばよいというわけです。
当たり前ですが、手間をかけるほど物は高くなります。しかし、それがいいものかは別問題です。砂漠で売る水の話と同様、価格の殆どを輸送料が占めている場合もあるわけです。
こうした面で見ると、割高なものを消費するのは自己顕示欲を満たす点において一番です。いい時計を身につけたり、フェアトレードでオーガニックな野菜を買ったり。彼らは、人を高く使っているという”名誉”を買っているのです。
ビーガン人は、よく買い物を投票といいます。消費が単にモノを買うだけではなく、意味を買うようになってきたということだと思います。
私は、できる限り手間のかかっていないものを適正な値段で買いたいと思っています。少ない人手で生み出された価値のある商品ということですね。
こう考えていくと、野菜・果物が一番条件を満たしています。植えて生えてきたものを収穫して輸送するだけ。こういうと農家さんに怒られそうですが。野菜の種類によっても手間がかかるもの、かからないものがありますね。
庭に植えているフーチバー(ニシヨモギ)は0円ですが、栄養価が豊富であり、ガンのリスクを低減させることができます。
まとめ
私は外食があまり好きではありません。というのも、裏を見てきたからです。(出稼ぎフィリピン人、黒い油、ゴキブリ、落ちたものを揚げて出すなど。)
私の身の回りには、いまだに価値を値段で判断する人は多い印象です。単に値段だけを見るのではなく、それができるまでの過程を知り、消費者としてのリテラシーを上げる必要があると思っています。
こうした高リテラシーなケチが買えるものが、無加工な野菜だよということです。